さらにこちらでは
アメリカの詩人・思想家エマーソンの言葉。
「Success」成功とはなにか
To laugh often and much;
(よく笑うこと)
To win the respect of intelligent people
and the affection of children;
(知性のある人からの尊敬を得、子供たちに好かれること)
To earn the appreciation of honest critics
and endure the betrayal of false friends;
(良心的な評論家に認められ、見せかけの友人の裏切りに耐えること)
To appreciate beauty,
to find the best in others;
(美しいものを理解し、他人のよいところを見つけること)
To leave the world a bit better,
whether by a healthy child,
a garden patch or a redeemed social condition;
(この世を少しでもよいものにして去ること。
それは、子供の健康や、庭の手入れ、社会問題の改善でもよい)
To know even one life has breathed easier
because you have lived.
(そして、たった一人でもいいから、あなたが生きていてくれて良かったと
思ってくれる人がいるということを知ること)
This is to have succeeded.
(それができたら、人生は成功だったといえる)
長男はまだ小4なんですが、最近になって「塾に行ってみたい」と言い出しまして。しんざき奥様とも相談しつつ色々考えたんですが、折角本人がやる気出してるんだし、ということで週二日で塾に通わせ始めました。
サッカーとの二足の草鞋は結構大変そうに見えるのですが、話を聞いている限りでは「学校の勉強とは全然違ってて面白い」らしいです。
時には難しい問題に突き当たって苦労することもあるようですが、本人がやる気を出してる間は、フォローしつつ見守りたいなーと思っています。
で、最近、長男の言葉でいたく感心したことがありまして。身内褒めみたいになってしまって大変恐縮なのですが、ちょっと書き留めておきたくなりました。
仕事の後時間があったので、長男を塾に迎えに行った時の話です。
長男が通っている塾は雑居ビルの2階〜4階にあります。
2階の受付で待たせてもらっていたところ、上の方からバタバタと足音がしまして。男子数人が競争しながら駆け下りてきたんですね。
その中に長男もいまして、「こらー階段で走ったら危ないだろー」と言ったらみんな揃って「はーい!」と言ってました。最近の子たちはみんな結構礼儀正しいと思うんですんが、もしかすると塾の先生と勘違いされていたのかも知れません。
どの子も見覚えがなかったので、長男と一緒に帰る途中に聞いてみたら、
「塾友(じゅくとも)出来たんだよー」
と言いました。もう塾での友人が出来たらしいんです。「そっか、長男は友達作るのうまいなー」
「簡単だよ」
「どうやって友達作ってるの?」
と聞いてみたら、長男、こう答えました。
「遊ぼうって言って、断られたら違う子に話しかければいいんだよ」
この単純な言葉が、私にとっては衝撃というか、大げさに言うと感嘆した言葉、でして。これ、当たり前みたいですけど、子どもだろうが大人だろうが、出来ない人には全然出来ないことだと思ったんですよ。私にだって無理かも知れない。
・普通であれば、「誘ったけど断られた」ということ自体ショックである筈が、それを全く怖がっていない
・「断られても問題ない」という意識が出来ているので、遊びに誘うことへのハードルが凄く低い
・断られても全く気にすることなくトライ&エラーが出来ている
・断られたらすぐ諦める = しつこく誘うということがないので、結果的に相手の都合を尊重するということも出来ている
・多分、遊びに誘う子の選り好み自体していない
私が考える限り、上記全部揃ってないと、「断られたら違う子に話しかければいい」という言葉、出てこないと思うんですよね。
まず、普通であれば、「遊びに誘ったら断られた」って結構ショックだと思うんですよ。
ちょっと後ろ向きにとっちゃうと、どうしても「何でかな、自分と遊びたくないのかな」「自分のことが嫌いなのかな」とか考えてしまいますよね。そういう風に考えちゃうと、「誘って断られること」は自分へのダメージになる。
ダメージがあるかも知れない、と思うと、人間なかなか行動が出来なくなってしまう道理です。
行動が出来なくなってしまう = 回数がこなせないから、友達も作りにくいし、成功体験が積めない。ある種の悪循環になりかねない訳です。
ただ、多分長男はそういう方向に思考がいってない。「なんか都合が悪くて今は遊べないんだろうなー」くらいに考えている。だから、何の問題もなく、何のダメージもなく、「じゃあ他の子と遊べばいいや」と切り替えることが出来ている。
トライ&エラーが自然に出来ている訳で、そりゃその内「うんいいよ、遊ぼう」っていう子も出てきますよね。
長男にとっては、それで「友達作り成功」なわけです。
これ、全然子どもに限らない話だと思うんですよ。対人関係って、「試行機会」が物動く重要になってくる分野です。
言い方は悪いですが、新しい人間関係なんて「数うちゃ当たる」の世界なわけじゃないですか。気が合う人なんてそう簡単に見つかるものじゃない。気が合う仲間を作りたかったら、試行回数を増やすしかないんです。
で、ある程度人間関係が煮詰まってきた後ならともかく、そこまででもない段階で「嫌いだから断られた」なんて考える必要も本来そんなにないんですよね。
第一印象がよっぽど悪かったら別ですが、大抵の場合それは「気分」とか「単に都合が悪かったから」だったりする。確かに、気にしないで済むなら気にしない方がいい話なんです。
試行回数の増加は、そのまま経験値にもなる。色んな人とのコミュニケーションの経験を積めれば積める程、コミュニケーションのスキル自体も上がっていくのは当然です。
友達が出来たという成功体験の結果として、ますます人見知りをしなくなり、ますます友達を作るのが上手くなったりする。これ以上の良循環もなかなかありません。
多分、長男のスタンスの根源にあるのは「自己評価の高さ」なんだろうと思います。
私、子どもが生まれて10年くらいは、自分や世界を好きになる為の助走期間を作ってあげないといけない、と思ってます。
だから、その間に自分を否定されるような言葉を投げつけられないことって、多分結構重要なことだと思うんですね。そこは結構気を付けてきたつもりです。
だから、「嫌われるかも知れない」という悪いイメージがない。
「嫌われた」と思った経験自体が多分あんまりないから、言ってしまえば図々しく、「断られたのはたまたまだろう」とノーダメージで切り替えられる。さくっと諦めて次に行ける。失敗がダメージにならないで経験値を稼ぎ続けられるって、一種の無敵モードとすら言えます。
これが継続出来たら滅茶苦茶強いだろうな、と。子どもの頃、私だってそんなこと出来てなかったと思います。
一般論に落とすと、「失敗をダメージと考えない」「トライ&エラーが苦にならない」って、難しいけれど出来たらものすごーーい強みになると思うんですよ。失敗を怖がらないで幾らでも経験が積めるわけですから。ある意味チートです。
やっぱり大人になるとなかなか難しいですけどね。どうしても、失敗がダメージと結びついてしまう。その点は、私の方がむしろ長男を見習いたいと思ったわけです。頑張ります。
勿論、長男にとってはこの先色んな人間関係の変遷、時には苦労があるだろうとは思いますが。何はともあれ、今後もトライ&エラーを繰り返しつつ、良好な人間関係を築いていって欲しいなーと思った次第です。
今日書きたいことはそれくらいです。
入社してはじめて有給をとり、講演を聴きにいった。どうしてもどうしてもどうしてもなにがあろうと行きたかった、さかなクンの講演だ。結果、完膚なきまでノックアウトされた。滅多打ちである。メロメロどきゅんのラブずっきゅんだ。魚に対する愛や、知識。すごい。見にきていた方が質問したことに対して力を惜しむことなく全身全霊で答えてくれる。それどころか、その魚に関する豆知識、美味しい食べ方、地方での呼び名、生態、すべてを子供でもわかるようなやさしい言葉で教えてくれる。すごい。知識の押し付けでなく、クイズ形式にして楽しく教えてくれる。すごい。パネリストとして来てた学者の先生に、(おそらくさかなクンは知っているであろうことを)あえて質問して、花を持たせたりしていた。できる。終了時間ギリギリまで話してくれて、カーテンがおりてもカーテンの隙間からハコフグ帽子を覗かせて最後まで楽しませてくれる。すごい。スライドを見せるため会場が暗くなったときちいさな子供が一人泣いてしまったのだけど、講演が終わったあと、外でその子のそばにそっと駆け寄り、頭を撫でてあげていた。羨ましい。いい面ばかりを見たのかもしれないが、あんなに邪気のない人を見たのははじめてだった。壇上をぴょこぴょこ跳ねたりしながら話す彼は限りなく妖精に近かった。
昔、テレビを観ていたら、「山奥で誰とも接触せずに一人で暮らしている人」を取材するという番組をやってたんですね。
で、色々とあって、TVカメラの前にその人が現れたんです。
そしたらやっぱりその人、すごく変わっているというか、まあ「一般社会でうまくやっていけないだろうなあ」って印象の人だったんです。
で、この人も若い頃からいろんな葛藤はあって、やっぱり周りとはたくさんのトラブルがあって、どうしても自分は受け入れてもらえなくて、色々と考えたあげく、「もう誰とも接さなくて良い、山奥で一人で暮らそう」って決めたんだろうなあ、って想像しました。
※
よく思うのが、「性格って直せない」ですよね。
「自信がなくて人前で上手に振る舞えない」という人もいれば、「根拠のない自信があって、何も結果を出していないのに偉そう」という人もいたりして、本当に「いろんな性格の人が世の中にはいるもの」です。
そして「自信のない人」はそれなりに気にしていて、「もっと自分に自信を持って行動しよう」なんて本を読んだりしているかもしれないけど、まあ「そんなに効果はない」ですよね。
あるいは「根拠のない自信がある偉そうな人」も、みんなにちょっと嫌がられたりしているのは気がついているけど、やっぱり自信があるわけだし、どうしようもないんです。
ホント、性格って直らないんです。
じゃあどうすれば良いのか?
自分の性格を受け入れてくれる場所を自分で探すのが一番です。
例えば僕はすごく「適当」で「いい加減」で、さらに「その場のノリで適当なことを言う」んです。
でも、ブラジル人のコミュニティに入ると、彼らは僕以上に「適当」で「いい加減」で、「その場のノリで適当なことを言う」んです。なんかすごく楽なんです。
以前、オーストラリア人女性と知り合って、彼女、すごく控えめで、シャイで、まあ「日本人っぽい」んですね。
で、「日本人っぽいですね」って彼女に言ったら、「そうなんです。私、オーストラリアでいたときは、みんなすごく自己主張が強くて苦手だなあって思ってたんですけど、日本に来たら日本人はみんな自己主張が強くなくてすごく居心地がいいんです」と言ってました。なるほど、彼女は「自分の場所」をみつけたわけなんです。
別に外国じゃなくても、「山登りサークルの人たちとはなんとなく肌が合う」とか「短歌サークルの人たちと一緒にいると自分らしく振る舞える」とかありますよね。
自己啓発と言いますか、「自分を変えよう」という発想って僕は正直、「無理」と思っています。人間って、まず「生き方」とか「考え方」とか「人との接し方」って変えられないです。
それよりも「自分にぴったりの場所」、「自分が心地よくてみんなが受け入れてくれる場所」を探した方が良いですよね。
※
たまに「今の場所が苦しそうな人」を見かけたり、インターネット上でも「苦しそうな書き込みや文章」を見かけたりするので、「自分の性格はまず変えられないし、周りの人もそう簡単には変わってくれないし、だったら場所を変えて自分にぴったりの場所を見つける方が良いですよ」と言いたくなり、こんな文章を書いてしまいました。
どこかにぴったりの場所あると思いますよ。
たいていの人は「1億円」の宝くじが当たったら、「何のためにオレは1億円持っているのか」じゃなくて「1億円をどう使うか」考えるだろう。人生も宝くじが当たったような物だから「どう使うか」を考えたら良い。